小田雅久仁さんの「禍」を読みました。
宝島社主催の「このホラーがすごい!」の1位に選ばれた作品です。

表紙がいいですね!!最初、気づきませんでした。
感想やネタバレ考察をしていきますので、未読の人やネタバレが嫌な人は気をつけてくださいね。
「禍」とは?
- タイトル:禍(わざわい)
- ジャンル:ホラー
- 著者:小田雅久仁
- 出版社:新潮社
- 発売日:2023年7月12日
- ホームページ:『禍』特設サイト
「俺はここにいると言ってるんだ。いないことになんかできねえよ」。恋人の百合子が失踪した。彼女が住むアパートを訪れた私は、〈隣人〉を名乗る男と遭遇する。そこで語られる、奇妙な話の数々。果たして、男が目撃した秘技〈耳もぐり〉とは、一体 (「耳もぐり」)。ほか、前作『残月記』で第43回吉川英治文学新人賞受賞&第43回SF大賞受賞を果たした著者による、恐怖と驚愕の到達点を見よ!
「禍」のあらすじは?
「禍」は7つの物語が収録されていて、「口」「耳」「目」「肉」「鼻」「髪」「裸(皮膚)」「あるいは身体そのもの」といったモチーフを通じて、「侵蝕」「融合」「喪失」「変化」といったテーマで書かれています。
※注意:ネタバレ有
1. 「食書」
作家の「私」はショッピングモールのトイレで本をちぎって食べる女に遭遇。
その女の言葉「一枚食べたら、もう引きかえせないからね」が気になり、「私」は衝動に駆られて本を口にしてしまいます。
すると、その本に書かれている世界に「溶け込む」ような体験をします。
そして次第に引きかえせない場所に足を踏み入れてしまい、現実と物語の区別がつかなくなり、精神に異常をきたしてしまいます・・
感想&考察
読むことで得られる体験には限界があるので、直接「摂取」しよう!という話。
どんな駄作でも、体験すると素晴らしい作品になる・・
「小説家は小説でどこまで読者に体験を届けられるか」という話を冒頭に持ってきたことは、作者の挑戦なのかなとも思いました。
2. 「耳もぐり」
恋人、百合子が失踪し、その住むアパートを訪れた中原。
百合子の隣人の男に行方を尋ねてみると、その男は「耳もぐり」について話し始めました。
「耳もぐり」とは、耳の穴から他人の身体や意識にもぐり込む力です。
やがて、中原自身もその構図の中に巻き込まれていく・・・
感想&考察
気持ち悪い話でした。
耳に指を入れて、「耳もぐり」をすると、他人の身体や意識の世界に、自分が侵入できる・・
しばらくすると、侵入された人と侵入した人の境界が曖昧になり、ある意味「融合」が起きるのです。
失踪した恋人は、隣人に「耳もぐり」され、隣人の一部になってしまいました。
さらに、その隣人の中には213人もの人格が存在し、最後には中原自身もその「融合」に巻き込まれてしまいます。
この物語が描いているのは、身体・意識・他者の関係です。
どこまでが自分で、どこからが他者なのか。
他者に侵入され、また他者に侵入することで生まれる「自分自身」の喪失や変質をテーマにしています。
3. 「喪色記」
他人の視線だけでなく、自分の視線にさえ苦手意識を持つ男は、少年時代から不思議な夢を見ており、その夢の世界には「夢幻石」と呼ばれる巨岩と、幼馴染の少女マナの姿がありました。
ある日、男の目から不思議な煙が吹き出し、その煙が成長した少女の姿を取ります。
その少女は夢で出会ったマナで、男はその少女(真奈)と結婚し、子供も生まれました。
しかし、やがて現実だと思っていた世界の方が仮想であり、夢の世界の方が本物なのではないかという不安を覚え始め、現実と仮想の境界が崩れ、世界の終末が訪れます・・
感想&考察
男の目から出た煙が少女の姿となり、その少女と夫婦関係を築くという奇妙な展開が物語の中心です。
やがて現実世界と夢の世界の境界が次第に崩れ、男は自分がどの世界にいるのか、何が現実なのか判断できなくなります。
最終的に、男の幸福な日常は幻想だったのかもしれないという可能性が示され、世界や自己認識が揺らぐラストとなっています。
この作品は、視覚や認識を通じて世界の揺らぎを描いています。
「現実」と「仮想」の境界が曖昧になることで、「自己」と「世界」の境界が崩れていきます。
4. 「柔らかなところへ帰る」
痩せ型の妻と静かな生活を送る男の話です。
これまで自分は「痩せた女性がタイプだ」と思っていたのですが、ある日、帰宅途中の路線バスで、隣に座った豊満な体つきの女性の存在が強く印象に残ります。
やがて、その日を境に、年齢や見た目が異なるものの「なぜか似ている」豊満な女性たちに連続して遭遇するようになります。
男はそれが偶然なのか、自分の欲望が作り出しているのか、あるいはもっと深い何かなのか、判別できなくなっていきます。
次第に、彼の中で、その女性たちへの執着や欲望が現れてきます。
感想&考察
この物語のポイントは、欲望と身体の関係です。
男が触れる「豊満な身体」は、単なる体型嗜好ではなく、母体的な柔らかさや包容力を象徴しており、無意識のうちに母体回帰的な願望と結びついているとも考えられます。
「柔らかなところ」は、安全や安心の象徴であると同時に、依存や没入、元に戻れない場所でもあります。
男がその場所に「帰ろう」とする行為は、自我の変質や境界の崩壊を示すとともに、母体回帰の心理的欲求を反映しているのです。
5. 「農場」
輝生は、家も仕事も家族も失い、ホームレス寸前の状態に追い込まれていました。
ある日、謎の男・篠田に声をかけられ、農場と呼ばれる施設で働くことになります。
その農場では、実験的な作物「ハナバエ」と呼ばれる、どう見ても人間の鼻のような苗が植えられ、人間の形に育ち、定期的に収穫されていました。
外界との接触が制限され、施設の中だけで生きるという隔絶された環境の中で、輝生は次第にその仕事に順応していきます。
やがて輝生は、この農場の作物と自分自身、人生と労働、そして外の世界と施設の中の世界との間で、境界が曖昧になっていくことに気づき始めます。
感想&考察
「鼻」を植えると「ハナバエ」という人間のようなものが育ち、それを収穫する・・「ハナバエ」が何に使われているのかは不明です。
そして、その中のひとつは新人に「鼻」のそぎ落とし方を教えるために使われます。
44年働き続けた輝生は、自分の鼻をそぎ落とし、「ハナバエ」になることを決意するのです。
身体の一部が「作物化」される恐怖、個と社会、人生と労働の境界が曖昧になる感覚が描かれています。
6. 「髪禍」
人生がうまくいかなくなっていた女性が、報酬10万円に目がくらみ、ある日、宗教団体「惟髪天道会(かんながらてんどうかい)」が執り行う儀式にサクラとして参加することになります。
その団体では、髪の毛を「神からの贈り物」として崇めており、人間たちが髪を神にささげ、髪から神意を受け取るという、奇妙で不気味な儀式「髪譲りの儀」が行われています。
儀式が始まると、髪がまるで生き物のように動き、意思を持っているかのように見え始めます。
ほつれた毛先が触れた時の感触、集団の熱気、異様な光景・・そして、女性は、自分の中の何かがゆっくりと変化していくのを感じるのです。
感想&考察
「髪禍」は、髪の毛という身近な存在が、じわじわと人の心と身体に入り込んでくる不気味さを描いた物語です。
髪は身体の一部でありながら、切り離されればただの物になります。
しかし、宗教団体が髪を神聖視することで、髪は「身体と他者をつなぐ媒体」のような不思議な力を持ち始めます。
髪が生き物のようにうごめき、まとわりつく様子には、母胎に包まれるような「帰りたい場所」のイメージが重なります。
7. 「裸婦と裸夫」
「裸婦と裸夫」は、冴えない男性が「現代の裸婦展」を見に行く途中、電車の中で突如起きた異常事態に巻き込まれる物語です。
ひとりの中年男性が突然全裸になり、暴れ始めます。
彼が触れた人々も次々に服を脱ぎ、男性も女性も全裸に。
まるでゾンビ映画のように裸が伝染していく謎の感染症「ヌーデミック」が爆発的に広がり、電車内は混乱と恐怖に包まれます。
主人公は必死に脱出し、ビルの屋上へ避難しますが、ヌーデミックは街全体に広がり、人々が次々に裸になっていきます。
常識や理性が崩れた世界を目の当たりにした主人公は、文明の脆さを突きつけられることになります。
感想&考察
文明や秩序が一瞬で崩れる恐怖を描いています。
裸になることは本来「恥や弱さ」をさらす行為ですが、それが次々に伝染することで、社会全体の理性やルールがあっという間に消失します。
一種の「文明のリセット」として読むこともできます。
人類の秩序や倫理を一度破壊し、裸の状態=素の状態から再構築する物語は、ノアの洪水と人類再生の物語にも通じます。
「禍」まとめ
「禍」は、まるでアングラ演劇の舞台のように、母体回帰、身体や意識、自己、他者、社会の境界が崩れていく世界を描いた作品です。
- 「食書」では口を通じて物語世界に入り込み
- 「耳もぐり」では耳から他人の意識に侵入し
- 「喪色記」では目から幻想世界が現れ
- 「柔らかなところへ帰る」では欲望が身体を揺さぶり
- 「農場」では鼻という身体の一部が作物として扱われ
- 「髪禍」では髪が意志を持って主人公を包み込み
- 「裸婦と裸夫」では全裸化によって社会全体の秩序が崩れます
自己と世界が溶け合うような感覚も繰り返し描かれ、身体や意識の侵蝕を通して、読者の安全圏や常識が揺さぶられ、非日常感を感じることができます。
つまり、「禍」は読者を物語の参加者として巻き込み、身体・意識・社会の境界の不安定さを体験できる作品です。
単なる奇想やホラーにとどまらず、自己認識や欲望、社会や文明の脆さを感じさせる深い心理的・哲学的体験が描かれています。
また、この小説は今なら「オーディブル(Audible)」で聴くこともできます。
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